桶田敬太郎(フォークダンスde成子坂)を太田光が追悼MRプロ所属
3月3日放送の「爆笑問題カーボーイ」
ラジオ放送で大田光さんが
2019年11月に亡くなった「フォークダンスDE成子坂」の桶田敬太郎さんを悼んだ
番組で共演したことのある大田光さんは、昨年まで交流があったが、「寂しい」とだけ告白した。
プロダクションMRに所属してた「フォークダンスDE成子坂」追悼の意を込めて
調査しました。
目次
「爆笑問題カーボーイ」で大田光が「フォークダンスDE成子坂」の桶田敬太郎さんを慎んだ
「爆笑問題カーボーイ」で大田光さんは、「フォークダンスDE成子坂」の桶田敬太郎さんの事に触れた
「タモリのボキャブラ天国」で共演した大田光さんは、桶田敬太郎さんの事を「本当に面白くて。桶田は誰が見てもその当時、ズバ抜けていた。とてもこいつにはかなわないって、みんな思ったよ」と当時を思い出し、その後も交流が会ったことを明かす。
大田自身は、2019年の12月に「フォークダンスDE成子坂」の桶田敬太郎さんの訃報を知った。
「桶田敬太郎さん、ずっとガンだった。10年以上。だけど誰にも言わず、奥さんにしか言わなかった」と告白した
「フォークダンスDE成子坂」の桶田敬太郎さんの相方だった村田渚さんは、2006年11月にくも膜下出血のため35歳で亡くなっている。
じつは、その直後に桶田敬太郎さんの病気が見つかっており
桶田敬太郎さんの奥さんは、村田渚さんの墓参りの時に「子供も小さいので、どうかいま連れていかないで」と願ったという
その後10年以上病気を隠して生活をしてきたが
2017年ごろに、大田光さんと桶田敬太郎さんが出会った時、大変太っていて最初だれだか分からなかったが「あの頃から病気だったんだ」と思い返していた。
先週、東京都内でお別れ会が開かれた時
参加した、大田光るは「寂しいね」と相方田中裕二も「つらいね。早くてね」と慎んだ。
桶田敬太郎の現在は、芸能プロダクションMRに所属してた
2019年の11月に亡くなりましたが
「フォークダンスDE成子坂」を解散後は
芸能プロダクションMRに所属し
作家業・プロデュース業と裏方に所属し
テレビ・イベント・舞台・CM(企画構成/演出)の他にも
Web・モバイル(製品・サービス企画)・新規エンタテインメントの考案や
タレント/キャラクターの企画/演出など
幅広いエンタテインメントを対象に、企画・構成・演出を行っている。
また、それ以外には、
自身の日常・生活・趣味活かしたライター業/執筆なども行っている。
桶田敬太郎の最後のツイッター
たった1切れで完全にのされた。
これあともういらない…どーしよ… pic.twitter.com/YQziVAXNWr— オケダケイタロー (@OKEDA_KT6) September 22, 2019
「フォークダンスDE成子坂」の桶田敬太郎・村田渚さんの動画や画像
1999年に解散しており当時はビデオが普及しててVHSやβなどの規格でしたので
あまり多くは残ってませんが
「フォークダンスDE成子坂」の桶田敬太郎さんの世間の声
ボキャブラ世代では最も天才だと思っていた芸人さん。時代のせいなのか、ラーメンズよりも先にシュールながらシャープでワクワクするような笑いを作っていた人だった。桶田さんの笑いを見続けたかったなあ。
ほんとに桶田さんらしい旅立ちだったんですね。。。
飛びぬけて斬新だった。
斜めに構えてとんがってた。ボキャブラのときも
教育テレビの小学生に対してのボケやらつっこみも
ほんとに面白かった。
TVを見て心の底から笑った記憶を
今も鮮明に覚えてる。解散して一人でPodcastを始めたやつを聞いたけど
ちょっと話が卑屈すぎてBGMもわざとらしくて
聞き続けられなかった。フォークダンスDE成子坂が好きだったなあ。と
懐かしく思った。本当にもういないなんて
信じられないです。大好きな芸人さんだったので残念です。
二人で天国でもボキャブラして下さい。
ありがとう!底ぬけAIR-LINE!それアポーペンだから!
確かにボキャブラ出てたとき面白いコンビだった。それでも売れなかったのは不思議だったけど、タイミングとか運とかもあるのかな?
まとめ
ボキャブラ世代には辛い報告となりましたが
桶田敬太郎さんが10年以上ガンと闘病してたとは知らなかった
解散後、桶田敬太郎さんはバントを組み
村田渚さんはピンで活動してたと
記憶してます。
有能な人物がどんどん亡くなり
新しい才能が開花されてる
時代を感じます。
「フォークダンスDE成子坂」の桶田敬太郎さんと村田渚さんの冥福をお祈りします。